VISION
WATCH
見えないものを、見せる。
2026.10.2

「想定外の仕事」も「地味な仕事」も、すべてが未来につながった。生成AIを支えるサイエンティストのキャリア観

研究施設内で活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤の研究に取り組む研究者
研究施設内で活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤の研究に取り組む研究者

日々、驚くような進化を続ける生成AI。その性能を見えない場所で支えているのが、DICの「活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤」です。

2026年10月にフェローに就任した有田和郎は、高速通信時の信号損失を抑えるこの技術の研究と実用化に長年携わってきました。数々の賞を受賞してきた有田ですが、そのキャリアは決して順風満帆だったわけではありません。

想定外の仕事や、思うように進まない研究。100のアイデアのうち、成功するのはわずか1つか2つ。それでも目の前の課題に向き合い、知識と周囲からの信頼を積み重ねたことが、やがて生成AI時代を支える新たな技術につながっていきます。

研究開発の現場で挑み続ける有田の歩みには、失敗を次の可能性に変え、本当にやりたい仕事を実現していくためのヒントが詰まっていました。

DIC総合研究所の研究施設内で撮影された有田和郎氏
▲有田 和郎(ありたかずお)
DIC株式会社 R&D統括本部 フェロー
1994年4月に大日本インキ化学工業株式会社(現DIC株式会社)入社。「エポキシ樹脂の製造プロセス法の研究開発」「半導体封止材向け特殊エポキシ樹脂の研究開発」「パッケージ基板向け特殊エポキシ樹脂および特殊硬化剤の研究開発」を経て、現在はDIC総合研究所で新規高耐熱性ネットワークポリマ全般の研究開発に携わる。2015年に横浜国立大学にて博士号取得。2026年10月フェローに就任。

しつこく地道に、ひたすらこつこつと。生成AIを支える技術は、そうして生まれた

──――活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤について詳しく知りたいのですが、その前に、そもそも「エポキシ樹脂」とはどんな素材なのでしょうか?

有田:エポキシ樹脂は、接着性や耐熱性、電気を通しにくい絶縁性などに優れたプラスチックの一種です。接着剤や塗料をはじめ、電気・電子機器、自動車、航空機など幅広い分野で使われています。

特徴は、エポキシ樹脂という「主剤」に相方となる「硬化剤」を混ぜ、化学反応を起こして硬くなる点です。ホームセンターなどで売られている「A剤とB剤を混ぜて使う強力接着剤」を見たことがあるでしょうか? あれも、身近なエポキシ樹脂製品の一種ですね。

電子分野では、パソコンなどに入っている緑色のプリント配線基板にも長く使われてきました。銅でできた回路同士が接触してショートしないよう、そのあいだを電気の通りにくいエポキシ樹脂で絶縁しているんです。


▲耐熱性や接着性に優れ、電子基板や自動車部材など幅広い産業を陰で支えるエポキシ樹脂

──そのエポキシ樹脂に、なぜ新しい硬化剤が必要だったのですか?

有田:従来のエポキシ樹脂には、電気をため込みやすい性質がありました。高速通信に対応する電子機器では、基板に電気がたまることで、情報を伝える途中でロスが生じてしまうことがあります。

人間も冬場になると、体に静電気がたまり、何かに触れた瞬間に「パチッ」とすることがありますよね。ちょっと雑なたとえですが、それに近いことが電子機器の基板内でも起こるんですよ。

研究設備を前に活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤について説明する様子

有田:そこでDICは、エポキシ樹脂と組み合わせる硬化剤に「活性エステル」を用いました。これによって、エポキシ樹脂本来の扱いやすさや接着性を保ちながら、電気をため込みにくくすることができます。信号の伝送損失を抑え、高い耐熱性も備えているため、現在は5G通信機器や生成AI用の基板にも採用されています。

──活性エステルを活用する硬化剤は、DICが独自に生み出した技術なのでしょうか?

有田:いえ。この技術自体は、1991年にある大学の先生が発表したものです。ただ、当時の活性エステルは溶剤に溶けにくく、耐久性も十分とは言えませんでした。一時は多くの企業が研究に乗り出したものの、次々に撤退していったそうです。そのなかでDICは、2000年ごろから、しつこく地道に研究を続けてきました。

高速通信機器や電子基板に用いられる材料のイメージ

有田:私が担当を引き継いだのは2008年。当時は、研究室のフラスコでは作れても、工場の大きな釜では同じ品質のものを作れませんでした。私に与えられた最初のミッションは、商業生産できる製造方法を確立することだったんです。

その後、私が従来品よりも高性能な新型の分子構造を発案したのは、最初の活性エステルが高速通信用基板には使えても、生成AI用基板が求める性能には届かなかったからです。そのアイデアを後輩たちが量産化へつなげてくれました。おかげで現在は、生成AIの普及とともにこの技術の活躍の場も広がっています。

「なんで僕が……?」から始まった、信頼と裁量をつかむまでの道のり

──活性エステルの担当になった当初、有田さんはどんな思いで研究に向き合っていたのですか?

有田:じつを言うと「え、なんで僕が担当なの......?」という気持ちでした(笑)。

私は入社以来、ずっとエポキシ樹脂を担当していました。その下地があって活性エステルの研究を任されたわけですが、当時の私は活性エステルの知見が豊富だったわけではありません。

それに相手は、研究室では作れても工場では実用化できていない技術。なんだか、損な役回りを押しつけられたように感じていたんです。

活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤の研究開発について説明する様子

──実際に、量産化に向けた研究では苦労も多かったのでしょうか?

有田:大変なことばかりでした。製造工程には、生成物を油に溶かし、不純物を水へ溶かして分離する作業があります。

ところが、活性エステルでは水と油が混ざり合ったまま、なかなか分かれてくれません。実験室の小さなフラスコではうまくいっても、ベンチプラントの700リットルの反応釜では再現できませんでした。

研究設備の前で材料サンプルを確認する様子

有田:仕方がないので、中身を分けてドラム缶へ移し、3、4日放置してなんとか水と油が分かれたら釜へ戻すという方法を考えました。

実際に作業するのは製造現場の人たちです。申し訳ない思いで、私もヘルメットをかぶって手伝いました。それでもなかなかうまくいかず、「こんなの量産化できるわけがない!」とさじを投げそうになったこともありましたね。

──それでも、途中であきらめなかったのはなぜですか?

有田:取り組むうちに、活性エステルには従来の材料にない性能があると肌で感じるようになったからです。「なんとしてでもこれを世に出したい」という気持ちが強くなっていきました。

加えて、以前から担当していたエポキシ樹脂の製造プロセスと、活性エステルの製造方法に共通点を見出したことも大きな転換点でしたね。

私は長年、より安く、安定した品質でエポキシ樹脂を作るためのプロセス開発に携わってきました。その知識を活性エステルへ転用することで、量産化の課題を乗り越える方法を見つけたわけです。

保護具を着用して研究開発に取り組む様子

──希望とは違う仕事を任されると、つい後ろ向きになってしまうかもしれません。でもその仕事が、のちの成功やキャリアにつながる可能性もあるのですね。

有田:はい。そもそも、最初から自分のやりたい仕事に巡り合える確率なんて、そんなに高くはありませんよね。まずは任された仕事へ精いっぱい取り組み、期待を上回る成果を出して、周囲の信頼を得ることが大切なのだと思います。

昔ながらの「石の上にも三年」なんて説教をしたいわけではないんですよ。研究者として結果を出すためには、信頼を得て裁量を持つことが必要だと考えているんです。

信頼されれば自分の希望を聞いてもらえるようになり、大きな裁量も生まれます。自分が正しいと思うことを提案したり、方針に疑問があれば異を唱えたりすることもできるようになるでしょう。

活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤のサンプルを確認する様子

有田:先ほど触れた新型の分子構造の開発は、まさにこうして得た裁量から生まれたものでした。活性エステルを量産化するだけでなく、「オリジナルのアイデアを加えたい」と考え、新型の開発へ踏み出しました。地道に目の前の仕事に取り組んだ結果、本当に自分がやりたかったことにも挑めるようになったんです。


▲左から2025年度「高分子学会賞(技術部門)」、「第25回GSC賞 経済産業大臣賞」、日本エレクトロニクス実装学会(JIEP)の2021年度「技術賞」の賞状、メダルや楯

「天才じゃないから、模倣する」。有田流・突破口の見つけ方

──新しいアイデアがなかなか浮かばないとき、有田さんはどのように突破口を探していますか?

有田:なかなかアイデアが出ないとき、私が行うのは「転用」「変更」「逆転」「結合」の4つのプロセスです。お手本となる技術や知識を見つけ、別の分野に転用してみる。それを真似しつつ一部を変更してみる。常識の逆を試してみる。2つ以上の手本をつなげてみる。

こうしたプロセスの基本となるのが「模倣」です。私は天才ではないので、真っ白なキャンバスにいきなり新しいものを描くことはできません。模倣できるものを探して、良質なインプットを続けることが必要なんですよね。

──常識にとらわれないためにも、まず常識を学ぶ必要があるのですね。

有田:そうです。多くの研究者が提唱する定説や、先輩たちの経験から導き出された方法は、すでにたくさんの人が試しています。ブレイクスルーのポイントは、それらの延長線上とは違う場所にあるかもしれません。

ただし、常識とされる方法を知らなければ、何がその外側にあるのかもわかりません。一見矛盾しているようですが、知識や経験を愚直に積み重ねることと、常識の逆を試すこと、その両方が必要なのだと思います。

もちろん、逆を試せば必ず成功するわけではありません。私自身、100のアイデアを出してもうまくいくのはせいぜい1つか2つで、ほとんどは失敗に終わります。だからこそ、一度は試してみるようにしていますね。それでも私は、多くの人が「うまくいかない」と考えて避ける場所にこそ、まだ誰も見つけていない可能性があると信じています。

研究室で活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤のサンプルを確認する様子

──ちなみに有田さんは、良いアイデアを出すためにどんなインプットをされているのでしょうか?

有田:論文を読んだり、社内に蓄積された技術を学んだりするのはもちろん、日常生活でも「研究に使えるものはないか」と、無意識に探している気がしますね。

──日常生活で見つけたものが新しいアイデアにつながった例を知りたいです。

有田:たとえばプラモデル。私は子どものころからプラモデルが好きで、今でもたまに作るんです。

知っていますか? 最近のロボットアニメのプラモデルには、関節の可動域を広げられるよう、ものすごく凝った作りになっているものもあるんですよ。針金のように柔軟な素材を骨格にして、関節を自在に動かせるような改造例もあります。それを見て、「化学結合において、もっと柔軟な素材でつないでみたらどうなるだろう?」と考えたことがあります。

そんなふうに、私は思いついたことはすぐメモを取るようにしています。夢の中に化学構造式が出てくることもあるので、枕元にもノートと鉛筆を置いています(笑)。

研究開発における発想や着想について語る様子

1枚の写真に思わず涙。そこから始まった「リサイクル」への挑戦

――いま、有田さんはどんな研究に取り組んでいるのでしょうか?

有田:これまで再利用が難しかったエポキシ樹脂に、新たな可能性を持たせる研究です。従来のエポキシ樹脂は、一度硬くなると元の状態には戻りません。非常に丈夫で、熱にも強いという長所がある半面、リサイクルして別の用途で使うのが難しい素材でもあるんです。

そこで私たちは、丈夫さを保ちながら、硬くなったあとでも形を変え、再び使えるようにする基礎技術を開発しました。まだ製品化には至っていませんが、これまで「硬化したら終わり」だったエポキシ樹脂の常識を変えられる可能性があります。

――なぜ再利用できるエポキシ樹脂を作ろうと考えたのですか?

有田:きっかけは、2020年ごろに新聞記事で見た1枚の写真でした。そこには、ガーナで電子ゴミを野焼きし、売れる可能性のある金属を取り出そうする人々の様子が写っていたんです。

当時は、私が携わった活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤が高速通信機器向け材料として広がり始めた時期でした。自分たちの材料が技術革新に貢献していることに、高揚感のようなものを抱いていたと思います。

ところが、その写真を見て、研究の成果が最後にたどり着く場所を突きつけられたような気がしました。実際に自分たちの材料がガーナで燃やされていたわけではありませんが、高揚感とのギャップに衝撃を受け、思わず涙がこぼれたのを覚えています。

それまでの私は、高性能な材料を作って技術革新に貢献することばかりを考え、リサイクルにはあまり関心がありませんでした。むしろ、多大な手間やコストがかかることをネガティブにとらえていたかもしれません。でもあの写真を見て、初めて自分自身の課題として意識するようになりました。

エポキシ樹脂のリサイクル技術研究について説明する様子

――基礎技術を突き詰めていけば、実用化も近いのでしょうか?

有田:そう簡単ではありません。リサイクルは、材料を作るだけでは成立しないからです。使用済みの製品を回収し、分別し、再び使える状態へ戻す。そうした全体の仕組みがなければ、いくら材料に再利用できる性能を持たせても、社会の中では循環しません。

さまざまな企業や組織を巻き込み、技術だけでは解決できない部分も動かす必要があります。基礎技術はできましたが、いまはその先の壁にぶつかっているところです。とはいえ、研究を止めたわけではありません。世の中の動きを見ながらリサイクルの研究を続けると同時に、そこで培った技術を別の性能へつなげようとしています。

1つの可能性だけにこだわらず、蓄積してきたものを次へ展開する。それは、これまでの研究でも繰り返してきたことなんですよね。現在はエポキシ樹脂の再利用を目指す研究を部下へ託し、私自身はまた新たな研究テーマに挑んでいます。

若手研究者との技術継承について語る有田和郎氏

「失敗が無駄ではなかった」と実感する場面を、たくさん経験してもらいたい

――若手メンバーへ研究を託す際、有田さんはどんなことを意識していますか?

有田:若手メンバーが実験に失敗して悩んでいるときには、「次があるよ!」といった情緒的な声をかけるのではなく、その時点で考え得る具体的な仮説を伝えるようにしていますね。「この用途には合わなかったけれど、逆の見方をすれば別の用途で使えるかもしれない」といったアドバイスです。

私たち研究者に求められるのは、失敗を必要以上に恐れず、そこから得た知見を次の挑戦へつなげていく姿勢です。だからこそ若手メンバーには、「あの失敗も無駄ではなかった」と実感する場面を、たくさん経験してもらいたい。私自身もそうやってキャリアを重ねてきましたから。

▲総合研究所でのディスカッションの様子

――有田さん自身はこれから、どんなふうに研究と向き合っていきたいですか?

有田:私はこれまで、大学時代の恩師や職場の先輩たち、製造・営業・品質管理など各部門の関係者、そして後輩たちと、本当に多くの人から知識や技術を受け取り、つないできました。だから今度は、私が得てきたものを若手へつないでいきたいと考えています。

ただし、私のやり方をそのまま受け継いでほしいと思っているわけではありません。私のように思いついたことを次々に試すことが好きな人もいれば、データを丁寧に積み上げることを得意とする人もいます。それぞれが自分の強みを活かし、受け取った技術に自分なりの発想を加えて、さらに先へとつないでくれたらうれしいですね。

私自身も引き続き最前線で頑張ります。60歳、70歳、80歳と年齢を重ねても、いつも何か新しいことを試したくてウズウズしている。そんな研究者であり続けたいと思っています。

総合研究所内で撮影された研究者のポートレート
RELATED CONTENT

より詳しい情報を知りたい方は、各ページをご覧ください。