DICのデジタル社会への貢献と見つめる未来(前編)
超高速通信を支える「エポキシ樹脂とは何か?」
DICのシニアサイエンティストに基本から聞く

2022.12.23 テクノロジー
有田和郎さん DIC 株式会社アドバンストマテリアル開発センター シニアサイエンティスト

有田和郎さん DIC株式会社 アドバンストマテリアル開発センター シニアサイエンティスト

有田和郎さん DIC 株式会社アドバンストマテリアル開発センター シニアサイエンティスト

最先端のエポキシ樹脂製品を開発し、エレクトロニクス分野における科学技術の進歩に貢献するDIC。世界で初めて、エレクトロニクス実装材料としての活性エステルの実用化に成功するなど、多数の受賞歴、実績のあるアドバンストマテリアル開発センター シニアサイエンティストの有田和郎さんに「エポキシ樹脂とは何か?」を基本から解説してもらった。

「樹脂」とは、もとは松やにや 琥珀こはく など、樹木から取れるものを指していた。20世紀初頭にアメリカでフェノール樹脂(ベークライト)が発明され、見た目が似ていることから「合成樹脂」と呼ばれるようになったが、樹木由来のものとは分子構造が全く異なる物質である。フェノール樹脂は強固なのでブレーキパッドなどに使われているが、花を挿す緑色の給水材料「フローラルスポンジ」も、フェノール樹脂を発泡させたものだ。

「昔の半導体の材料が金属やセラミックスから、合成樹脂にとって代わった時期がありました。当時はフェノール樹脂も検討されたようですが、半導体をいためたり、硬化させるときに水蒸気が発生するなどの欠点があり、現在は単独では使われていません」と、有田さんが解説する。

20世紀中頃に開発されたエポキシ樹脂は、耐久性や耐熱性、接着性や電気絶縁性などの特徴があり、防錆、防食塗料や道路補修用の接着剤、電化製品の中の半導体封止材やプリント配線基板などに幅広く使われている。

「エポキシ樹脂は、エポキシ基という1個のO(酸素)と2個のC(炭素)による三角形の分子構造を持つ熱硬化性樹脂のひとつです。三角形の分子構造はゆがんでいて不安定なため、非常に反応しやすい中間体です。そこに硬化剤を混ぜて加熱すると、互いが反応によりつながって、ジャングルジムのような三次元の分子構造を成すプラスチック状の硬化物になります。ごく身近な例では、ホームセンターで売られているA 液とB液を混ぜて使用する接着剤※でしょう」

※有田さん原案の「高分子未来塾」(公益社団法人高分子学会)掲載
「混ぜてくっつくポリマー:強力接着剤」暮らしの中のポリ仲間No.6 ~出版委員会~ ‒ 高分子未来塾®

「DIC が生産しているエポキシ樹脂は、エレクトロニクス分野、塗料分野、接着剤分野の3大産業で利用されています。エポキシ事業はすべてB to Bの製品材料として素材販売しています。中でも高機能品の要求が強いエレクトロニクス産業での利用比率は高く、最も科学技術の進歩に貢献できる分野ととらえ、力を注いでいます」

エレクトロニクス分野におけるエポキシ樹脂の最大の役割は、耐久性、耐熱性、電気絶縁性。これらの優れた特性が生かされている半導体封止材、プリント配線基板とはどのようなものだろうか。

「半導体封止材とは、脆弱ぜいじゃくなICチップを物理的刺激、湿気、ガンマ線などの電子線から防ぐカバーのこと。パソコンやスマホを開けると緑色の基板に黒いチップが何個かあるのが見えますね。メーカーのロゴなどが印刷されている部分が封止材です。その中に、半導体のチップが入っています。電波を遮断するために、カーボンブラックが配合されているので黒いのです」

「そしてマザーボードなど緑色の配線基板そのものも、エポキシ樹脂製品だ。

「エポキシ樹脂を染みこませた布状のガラス繊維を何枚も重ねてプレス成型すると『繊維強化プラスチック』になる。これに薄い銅箔を張ると基板ができるわけです。エポキシ自体がもともと接着剤なので、すき間なくぴったりと張り合わせることが可能なので、絶縁不良を起こすことがない。しかしスマートフォンのように回路基板がどんどん小型化されて基板が薄くなってくると、反りによる絶縁不良の問題が出てくる。すると『反らない基板が必要』などの要求が来るのです。このように、次々と出される改良の要求に応えながら、技術の進歩を支えるのが、DICの使命だと考えています」

エレクトロニクス分野では、高性能化への要求水準が非常に高く、とどまることがない。リモート会議などで以前に比べて「映像が途切れることが少ない」「音声の遅延がない」と感じることがあれば、それらにはDICのエポキシ樹脂が貢献しているかもしれない。

有田さんはDIC 独自の活性エステル型エポキシ樹脂硬化剤の実用化に成功し、5Gの普及を加速させた功績により2022年、エレクトロニクス実装学会から表彰された。

「エポキシ樹脂はすぐれた絶縁性が特長なのですが、一方で電気がたまりやすい(誘電率が高い)という性質もあります。電気回路に大量の電気信号が流れるときに、絶縁材料に電気を取られると、処理スピードが遅くなってしまう。つまり絶縁材の誘電率を下げることが、増大する通信量に対応する上での課題だったのです。1991年発表の『活性エステルを硬化剤に用いると、誘電率の低い硬化物ができる』というアカデミアの論文を参考にDICの研究開発部門で試作が行われ、当時私がいた、技術部門で実用化に取り組むことになったのです」

「フラスコ内で成功したことも、プラントスケールでは原料やコストのことも含め、さまざまな問題が出てくるものです。例をあげれば原料を水で洗う工程で、ドレッシングのように混ざってしまい、分離させるのに試行錯誤したりしました。求める性質をクリアできても、他の重要な特性を両立させることが難しかったりもします。また『活性エステルは分解しやすく、エレクトロニクス分野に使用は不可能』というのが業界の常識だったのですが、それを安定するように分子設計し、苦労して耐久性のあるものに作り上げたのです。ところが、当初、顧客にはなかなか信用してもらえませんでした。そこでDIC内で実証実験を行い、実際に見て納得してもらうというプロセスを重ねました。特に、海外の顧客には言葉の壁もあり、『活性エステルは使えない』という思い込みを払拭するのが大変でしたね」と、笑いながら話す有田さん。

「不可能を可能にした」技術革新は、驚きをもって迎え入れられたことだろう。

(プロフィール)
1994年 エポキシ合成グループ入社
1996~2007年 エレクトロニクス向けエポキシ樹脂の製造プロセス法の開発
2005~2014年 エレクトロニクス向け新規エポキシ樹脂・硬化剤の開発
2015年 横浜国立大学にて博士号取得
2015年~ R&D 統括本部にて、熱硬化性樹脂の研究開発に従事
2019年 各種熱硬化性樹脂の実用化で合成樹脂工業協会より最高位の学術賞を受賞
2022年 エレクトロニクス実装学会の技術賞を受賞
2022年~ 「シニアサイエンティスト」に任命される(2022年10月現在、DIC全社で3名のみ)