DICのデジタル社会への貢献と見つめる未来(後編)
働く喜び ~セレンディピティ~ 幸福をつかみ取るには

2023.1.27 テクノロジー
同僚のみなさん
同僚のみなさん

長年技術部門に身を置きながら、社内外を問わず越境的に関わり合い、多数の最先端技術を世に送り出してきた、DICシニアサイエンティストの有田和郎さん。数多くの障壁を乗り越え、アクシデントさえ新規開発へとつなげた有田さんのキャリアを振り返り、次世代、次々世代のデジタル技術を見据えた現在の課題について語ってもらった。

「師匠」との出会いと製造プロセス開発

「最初に千葉工場のエポキシ合成グループに配属されたことは、非常にラッキーだったと思います。エポキシ合成には、フラスコで攪拌(かくはん)混合、分液ロートで抽出、溶剤の減圧蒸留、ろ過など、有機化学の実験操作が網羅されており、しかも同様の工程が、トン単位のプラントスケールで行われる現場の実務と同時に頭に入ったからです。学生時代にあまり優秀でなく、社内の研究者、技術者のレベルの高さに驚きショックを受けるような新入社員であった私は、“師匠”(新人教官)と“先生”(長年の上司)に、ずいぶんと鍛えられました。個性の異なる2人の指導者との出会いは人生最初の転機になりました」

有田さんは入社後わずか2年で、製造・技術・生産技術の3部門横断プロジェクトを“師匠”から引き継ぐ。エポキシ樹脂製造の際に出る大量の廃水から環境汚染物質を削減し、原料のリサイクル効率を高める新プロセスの開発を手掛けることになった。師匠の厳しい指導は、基礎研究のみならず、製造現場の人間的な関わりや信頼関係を重視した教えだったという。
「現場でなければ学べないことは多いですし、プロセス開発では、サンプリングのために途中で電源を止めてもらうなど、現場の方々に余分な手間をかけることが度々あるのです。右も左も分からない3年目ですから、とにかく信頼関係を築こうと、毎日のように工場のプラントに足を運び、現場立ち会いを繰り返しました。やがて自分の書いたフォーミュラ(手順の指示書)で人が動き、巨大な反応釜から10トンものエポキシ樹脂が生産される様を見たときの感動を、今も覚えています」

この実績が認められ1997年マレーシアプラントの設計と立ち上げに抜てき。


1999年@マレーシア工場 現地オペレーターと。彼とはよくメシを食いに行った仲でした。

「マレーシアでは現地の水質が原因でまともな製品ができなかったり、文化や風習の壁にぶつかったり。心身共にヘトヘトになりました。一生懸命教えた人があっさり辞めていくようなことがありましたが、こちらの熱意に応えてくれるスタッフもいて、情熱は共通の価値観だなと思ったものです。これらを乗り越えられたのも師匠の教えがあったからこそだと思います」

「先生」の教えと次世代エポキシ樹脂の発明

「もう1人の指導者の“先生”は、新規化合物の開発に情熱を持ち、事実の組み合わせを深く論理的に考えることを重視する方でした。指導は非常に厳しく、とりわけ大変だったのは、毎週必ず新規化合物のアイデアを提出するという課題でした。日曜日に『サザエさん』の時間になると『明日会社行くのいやだなあ』なんて思いながら必死に分子設計をしていました。それでも『手を動かしていれば何かしら考えつくものだ』と思ったものです」

「工場での仕事はやりがいがあったが、新規化合物の開発をして「イノベーションに貢献したい」という思いが大きくなっていたころのこと。
「先生の指示で酸性触媒で反応実験を行っていた時に、ふとあまのじゃくな気持ちで、アルカリ性触媒である、水酸化カリウムでもこっそり実験してみたのです。すると意外にも良好な結果が出た。当時の常識に反したことなので、びっくりでした」
「そして何より嬉しかったのが、このあまのじゃく実験の実行そのものを(自分の指示とは逆だったにもかかわらず)先生が絶賛し、学会発表を勧めてくれたことです。そして、その人生初の学会発表で「ベストプレゼンテーション賞」を受賞した時の、先生の喜ぶ顔が今でも焼き付いています」

この成功は後に、大ピンチを幸運な発明にひっくり返す鍵になる。

製品が完成し、いよいよ顧客に本格的に販売しようとした直前に、原料のナフタレンの倉庫が原産国中国の大洪水の被害を受け浸水し、輸入不可という知らせ。激しい競争の下、非常にタイトな生産スケジュールで、後にも先にも引けない状況だった。やむなく水浸しになったナフタレンをなんとか手直しさせて輸入し使用したところ、そのロットが痛恨のスペックアウト。顧客には平謝り、という事態になってしまった。
「ところがその後、スペックアウト品の分子量分布を眺めていたら、むしろ理想的に見えたのです。そこで実際に硬化物を作ってみたら、なんと高性能が確認できた。驚いて水浸し原料の分析を精査し、硫酸カリウムを多量に含むことを突き止めました。先のあまのじゃく実験が同じカリウムだったので「アレ?」と気付いたのです。この時、頭の中でガチガチと歯車がかみ合うような快感を得たことを鮮明に覚えています。後に、これらの反応機構と性能をまとめた論文で博士号を取りました」

新規ナフチレンエーテル型エポキシ樹脂はスマホのパッケージ基板など、極めて繊細で高性能が求められる部分に使用される。

世界初の新素材の生い立ちを振り返りながら「『セレンディピティ』、私の好きな言葉です」と言う有田さん。「それは『幸福な発見』そのものではなく『幸福をつかみ取る能力』を意味していると思います。あの時も水酸化カリウムの経験から『アレ?』と気付かなければ見過ごしていたかもしれません。昔からやってきたように、すごい大発明ではなくてもいいので、とにかく数多くアイデアを出し、何十回と実験し、やっとその中からいくつか芽が出る。一つを狙って実験したものがうまく行ったなんてことは全然ありませんでしたね」

技術部門とR&D 企業風土づくりへの貢献

「新しい技術は、社会に実装されて豊かになり、人々がその価値を共有できるようになって初めて『イノベーション=技術革新』と言えます。イノベーションを起こすのが企業の役割ですから、R&Dの研究段階で実用化が視野にないと、長い年月をかけた研究が、技術部門に移管された瞬間に『商業生産不可』の烙印(らくいん)を押されてしまうことも起こります。探究心、知的好奇心は必須ですが、それだけでは『企業の研究者』としては不十分だということでもあるでしょう」

有田さんが技術部門からR&D部門に異動したことは、こうした二つの部門の距離感を縮めることに貢献したことだろう。また、シニアサイエンティストの役割の一つとして有田さんは「技術者がマインドを高め合う風土づくり」を挙げる。

「若手技術者を受け入れる場を設け、開発スキルのみならず、やる気、熱意、研究開発の先にある実用化のやりがいを感じる場にしたいと思い描いています」

デジタル社会の環境問題にどう貢献するか

「製品を生み出してきた者の責任として、エポキシ樹脂の3R(Reduce,Recycle,Reuse)化に取り組んでいます。現在参加している国家プロジェクトは、簡単に解体できるエポキシ樹脂の開発です。エポキシ樹脂は耐久性の高さがあだになり、廃棄する際に分解したり、リサイクルできない課題になってくるわけです。耐久性は維持しつつ、廃棄する際には特定のトリガー(刺激)で簡単に解体できたり、解体した物を再成形して、再利用も可能な熱硬化性樹脂の開発に取り組んでいます」

将来のビジョン

「イノベーションは、自分だけでは起こせません。今後も社内外のあらゆる分野の方々と出会い、つながっていく必要があります。頭で考えるだけでなくて、AIを活用して、人間が思い付かないような発想を取り入れることも必要になるでしょう。そして80歳を過ぎても多様性の中の一人として皆と一緒に、技術をつくることに貢献したい。自分の時間が足りなければ、後輩らに渡せるようにしたいと思っています」