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仲間を集め、冒険の旅へ。たった1人で始まった触覚増幅デバイス「タクトハンサー」が世界に挑むまで


「魔法のようだ」——世界最大級のテクノロジー見本市「CES 2026」で、各国の来場者を驚かせたのは、DICの触覚増幅デバイス「タクトハンサー(Tacthancer™)」。装着するだけで、人の指では感じ取りにくい微細な凹凸や傷を感じられるこの技術は、製造業を中心に幅広い可能性を秘めています。
その原点は、100円ショップなどで集めた材料による試作でした。評価方法や事業化の道筋など、前例のない事業ならではの壁を乗り越えるたびに仲間が加わり、少しずつ形になっていきました。
CESで大きな反響を得たいまも、この挑戦はまだ通過点にすぎません。本当のゴールは、お客さまとの密な対話を通じ、確かなビジネスへと育てていくこと。未知の領域への挑戦から、事業化のステージへと進む開発メンバー4人に、その軌跡を聞きました。

登場人物(写真左から)
市川敦:「触覚増幅デバイス」という未知の領域に1人で足を踏み入れた発起人。開発からマーケティングまで、プロジェクト全体を牽引するリーダー。
赤岡太一:樹脂開発の経験を活かし、タクトハンサーの触覚増幅を客観的に評価する仕組みを構築。
井川高輔:3Dプリンターや材料開発の知見を武器に、タクトハンサーの試作・具現化のサポートを担当。
西岡哲郎:タクトハンサーの市場開拓を担う営業担当。展示会への出展を機に本プロジェクトへ合流。
“触覚を増幅させる”とは? 化学メーカーから生まれた異色のデバイス
──最初に、タクトハンサーとはどういうものなのか教えてください。
市川:タクトハンサーは、人の触覚を増幅させるツールです。シート状のタクトハンサーを介して物体を触ると、素手で感じ取ることが難しいわずかな凹凸や傷を、指で検知できるようになります。特殊な構造と技術により、電源がいらないのも大きな特徴です。「メガネの触覚版」だと思っていただければ。さらに電源とセンサを組み合わせることで、触覚データを記録するデバイスにも変化します。

▲触覚増幅デバイスの開発を1人で始めた市川。趣味は、客員研究員としてアメリカ・ボストンのマサチューセッツ工科大学に在籍していた際に始めた筋トレ
──電気を使わずに、わずかな凹凸が感じられるようになる……! すごいツールですね。今日お集まりの皆さんは、最初からチームとして開発に携わってきたのでしょうか?
市川:いえ、最初は私1人で開発を始めました。そこから赤岡さん、井川さんが順に開発に加わり、そのあと営業の西岡さんにマーケティングに加わってもらった、という流れです。私以外は、他部署との兼任でこのプロジェクトに参加してくれています。
──1人ずつ仲間が増えていったわけですね。皆さんは初めてタクトハンサーに触れたとき、どう思われましたか?
井川:初めて試したときは思わず「おぉ~!」と声が出ました。手で触るとなめらかに感じるものでも、タクトハンサーで触ると凹凸をはっきり感じるんですよ。

赤岡:「化学メーカーもこういうデバイスを開発していくんだ」と思いました。これから新しいことが始まる予感がしましたね。
西岡:うーん、覚えてないな……。
井川:なんで覚えてないんですか。
市川:「こんなの売れるわけない」って思ってたんじゃないですか?(笑)。
西岡:最初から風当たりが厳しいな!(笑)。

始まりの地は100円ショップ。たった1人で始まった「未知への冒険」
──そもそも、なぜ市川さんはタクトハンサーの開発を始めたんですか?
市川:私は前職が自動車メーカーで、2023年にDICに入社しました。触覚を増幅させる技術自体は20数年前に発見されたもので、もともと研究者としてDICに入社する前から注目していました。
DICに入社後は、技術企画部で「技術マーケティング」を担当し、触覚領域を含む新規事業の可能性を探りながら事業戦略を検討してきました。その活動の延長で参加したのが、生活者の視点から未来を予測し、革新的な製品開発や事業化につなげる全社プロジェクトです。これは、化学メーカーの枠を超えて社会に直接価値を届けるDICの「Direct to Society(D2S)」という考え方を実践する取り組みであり、そこで立案したテーマの1つが「触覚増幅デバイス」でした。

──DICといえば、顔料や樹脂など材料のイメージが強いですが、なぜ「触覚」に注目されたのでしょうか?
市川:まさにDICが持つ「材料」という強みを活かせると思ったからです。触覚増幅デバイスは電気を必要としません。機能を実現させる仕組みと、それに最適な材料をうまく組み合わせることで、社会に新しい価値を提供することができます。
前職の自動車メーカーでの経験も役立ちましたね。自動車や輸送機器の業界でさまざまな困りごとに直面し、製造現場の課題を肌で感じてきました。そこで培った現場感覚や、材料・構造設計への知見と、歴史と実績を積み重ねたDICの材料・技術をかけ合わせれば、かつてない触覚増幅デバイスが作れるのではと考えました。
──ここからタクトハンサーを追い求める冒険が始まるわけですね。その「始まりの地」はどこだったのでしょうか。
市川:試作のスタート地点という意味では、100円ショップですね。
──100円ショップですか!?
市川:はい。もちろんその前に、社会や市場の動向分析、複数業界へのニーズ調査といったマーケティング調査を行っています。そのうえで、まずは過去の研究内容を検証しようと、100円ショップで身近な材料を揃えて、簡易的なプロトタイプを作りました。
基本的な技術を確認したあとは、3Dプリンターも用いながら、最適な構造を追究していきました。社内のメンバーにもプロトタイプを触ってもらいましたね。
──それが、いつごろのことですか?
市川:2025年の春ごろですね。技術開発だけにとどまらず、その可能性を形にするため、自ら企業に足を運びました。現場で何が課題になっているのか。どんな価値が求められているのか。自分の言葉で対話を重ねながら、1つひとつ確かめていったんです。研究開発系のイベントでは、資料を使わずに数分間でアイデアを説明し、面談やデモ実演の機会を自ら切り拓いていきました。そうして自動車メーカーや、ゼネコン、重工業など10社ほどで試作品のデモを行う機会をいただき、現場のリアルな意見を集めていきました。
──マーケティングも市川さんお1人で?
市川:ほぼ1人ですね。このとき私は「料理人」の気持ちでした。自分が作った触覚増幅デバイスという「料理」を試食してもらうわけですから、どういう反応が返ってくるのか本当に不安で。驚いてもらったり、ポジティブな反応をいただけたりすると、やっぱりホッとしましたね。
専門性の掛け合わせで壁を越える。パーティに加わった「攻め」と「守り」
【第1の壁:性能を証明できない】

▲評価の魔法使い・赤岡がパーティ加入!
──1人旅を続けてきた市川さんですが、最初の壁はどこで現れたのでしょうか?
市川:仮説と検証を繰り返しながら開発を続けるなかで、最初にぶつかったのが「評価」の問題でした。どんな構造で、どれくらい触覚を増幅できたのか——これを定量的に証明する手法がなかったんです。自分なりに理論的な計算式は立てていたものの、それを安定して正確に検証する実験方法がありませんでした。
「すごいですね」とは言ってもらえるし、手応えもある。でも「本当に性能が上がっているのか」を数字で示せない。ここが最初の大きな壁でした。そこでテーマを1段階引き上げるために、評価手法に詳しい赤岡さんに、メンバーとして加わってもらうことになりました。これが2025年5月でしたね。
──赤岡さんは、もともとどんなお仕事をされているんですか?
赤岡:スペシャリティコンパウンド技術グループという部署で、PPSという樹脂の開発に携わっています。樹脂開発の過程で評価は欠かせませんし、一般的な評価手法の知見はあるのですが、触覚増幅の評価については当然経験がなく……。

▲赤岡の趣味はアクションゲーム。好きな武器は刀
市川:これまでにない製品ですからね。
赤岡:そこで、市川さんのアイデアを参考にしながら、センサを取りつけて再現性を確認したり、条件を変えたりして、客観的なデータを取得する手法を構築していきました。試行錯誤の連続でしたね。
【第2の壁:試作品を製品レベルに引き上げられない】

▲タクトハンサーの試作・具現化を担うクラフター・井川も登場!
市川:おかげで、会社として触覚増幅デバイスに本格的に取り組むことになり、開発を 加速させる必要が出てきました。試作ができる。評価もできる。でも、製品として通用するレベルに仕上げるための材料設計と造形技術が足りない。そこで、2025年7月に加わったのが井川さんです。

▲井川の趣味はラーメン屋めぐり。出張先で新しい店を開拓中
井川:私は3Dプリンターの材料開発に携わっており、造形技術や構造の調整などの知見があります。タクトハンサーの樹脂材料の開発や、試作品の造形において、市川さんのニーズと私のスキルがマッチした形ですね。
──評価手法の検討という「守り」を固めるメンバーと、材料開発の知見がある「攻め」を担うメンバーが、ここで加わったわけですね。そういえば、「タクトハンサー」という名前はいつできたのですか?
市川:井川さんが加わったあと、商標登録のタイミングで名づけました。「タクタイル・センシティビティ・エンハンサー」という英語から、最初と最後を取って「タクトハンサー(Tacthancer™)」。グローバル展開も見据えて、赤岡さんにニュアンスを確認してもらいました。
赤岡:私は帰国子女で、ニュージーランドで暮らしていた時期があるんですよ。
市川:身近に英語のネイティブスピーカーがいて助かりました(笑)。
磨きをかけた“武器”で最大の壁を突破。展示会という大海原へ
【第3の壁:事業として成立するか見えない】

▲タクトハンサーの市場開拓を担う商人・西岡も参加!
――パーティが3人になり、「タクトハンサー」という”武器“にさらに磨きがかかりました。しかし、次なる壁が立ちはだかります。
市川:2025年12月に、工場の生産・情報管理に関する最新技術や製品が集まる展示会「スマートファクトリーJapan2025」に、タクトハンサーを出展しました。その準備と、マーケティングの戦力増強のため、西岡さんにも加わってもらいました。
――ついに4人全員が揃いましたね!
西岡:いや、このときはまだ「仮入部」の状態でした。新事業の関連テーマを複数持つことになり、タクトハンサーもその1つだったんです。「今後ビジネスとして成り立つのか」—率直に言って、当時はそこを見極めるつもりで参加していました。

▲西岡の趣味は海釣り。ぼーっと海を眺めながら釣りをするのが何よりのリフレッシュ
――仲間にするにはミッションをクリアせねばならない……といった展開ですね。
市川:「スマートファクトリーJapan2025」のときは、かなり小さなブースだったんですよね。場所は会場の奥のほうだし、派手な装飾もなくて。
西岡:正直、始まる前は100人くらいの方に体験していただけたら良いほうかなと思っていたんです。でも市川さんの目標はまさかの「300人」。「それは無理だろう」と思っていたら、最終的に250人くらいの方に体験していただけたんですよね。
市川:260人ですね。
西岡:細かいな(笑)。
――想像以上に反応がよかった、ということでしょうか。
赤岡:そうですね。「うちで試したい」「今すぐ持って帰りたい」と、ポジティブな反応がほとんどでしたね。
井川:会場の東京ビッグサイトでは「国際ロボット展」も開かれていたんですよ。そちらも一緒に回られた方が「今日出展しているなかでDICが一番すごい」と言ってくれて。
市川:これはうれしかったですね。展示を含め、マーケティングではとにかく体験を重視してきました。まずはお客さまに驚いてもらう。そのあとで「実際にどう使うか」を、お客さまと一緒に考えていく。言葉で説明する前に、まずはワクワク感を共有することで、お客さまとの議論がより一層深まると考えています。
――一度体験すると、記憶にも残りやすいでしょうね。
西岡:実際、展示会後にお客さまへご連絡すると「DICさんのアレね」と覚えていただいている方が多かったですね。お客さまの反応も良く、非常にキャッチーでアピールしやすい商材だと感じたので、きちんと「入部」して取り組むことにしました。
――ミッションを達成して、晴れて4人が揃いました! そのあと、2026年1月にはアメリカで開かれた世界最大級のテクノロジー見本市「CES 2026」に出展。ついに世界への船出です。
市川:CESでは多機能ロボットフィンガー「MoR®」や、次世代全方位マルチコプター「HAGAMOSphere®2.0」とともに、タクトハンサーを展示しました。会期中はブースに約700名が来場し、体験した方は「魔法のようだ」と驚かれていました。
来場者は世界各国の企業関係者や研究者の方々です。国や人種にかかわらず、「触覚」に対する驚きは共通なのだと実感しましたね。日本では想定していなかった業界からもお声がけいただき、新たな視点を得ることができました。
勇者だけでは成し遂げられない。仲間と切り拓く“触覚”の未来
――タクトハンサーはいよいよ世界という大海原に漕ぎ出しました。このあとの展望はいかがでしょうか。
市川:引き続き性能向上に取り組みつつ、「触覚のデジタル化」にも取り組んでいます。検査の属人化をなくすために、触覚を数値化したいという声が非常に多いんです。幅広い業種や業態からのニーズを、デバイスにより反映していきたいですね。
西岡:製造業の品質検査のほか、意外なところでは清掃業者の方から「清掃が行き届いているかの確認に使いたい」という声もありました。ターゲットを見極めながら、いずれは世界を目指したいですね。
――少し未来の話になりますが、5年、10年後、タクトハンサーはどんな分野で活躍していたらいいなと思いますか?
市川:エンタメ系に使うと面白いんじゃないかな。ゲームや謎解きは、視覚や聴覚を使うものがメインですが、触覚も使えたら新しい遊び方が生まれるかもしれません。何も書かれていない板をタクトハンサーで触ると、文字が浮かび上がるとか。
井川:年齢を重ねると手の感覚が鈍くなると聞きました。高齢者の方がタクトハンサーを装着し、加齢による感覚の変化を補助するような使い方もできそうです。
西岡:視覚だけに頼らず、触覚でも鑑賞体験をしてもらうなど、アートの分野にも可能性がありそうですね。
市川:デジタルの体験があふれている今だからこそ、「触る」というリアルな体験の価値が向上するかもしれません。

――では最後に、次にタクトハンサーの「仲間」になってほしいのは、どんな人ですか?
赤岡:チャレンジを楽しめる人ですね。タクトハンサーは前例のない製品なので、正解のない問いに向き合い続けることになります。でも、展示会でお客さまの生の声を直接聞けたときのやりがいは格別ですよ。
井川:DICは「化学の会社」というイメージが強いと思いますが、最近は機械系など他分野の背景を持つ人も増えています。DICに興味がある方と、一緒に仕事ができたらうれしいです。
西岡:タクトハンサーは触覚を増幅するユニークな技術です。さまざまな分野への展開を進めていますので、ご興味をお持ちいただけましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。
市川:新規事業全般に言えることですが、RPGに例えるなら、1人でダンジョンに飛び込むようなチャレンジができる人は、やはり大切だと思います。とくに若い方にはプロジェクトを最初に立ち上げる「勇者」に挑戦してもらいたいですね。仲間を増やし、協力し合いながら、冒険を成し遂げてほしい。同じ志を持つ仲間と夢や目標に向かうことは、それだけで価値がありますから。
ただ、勇者だけで魔王やドラゴンは倒せません。戦士や僧侶など攻撃や回復を担う仲間が、それぞれの役割を発揮することで、初めて成し遂げられるはず。さらに最初の難関を突破すると、次は事業化のフェーズに入ります。事業を盤石にするのは「王国」をつくるようなもの。
勇者の役目はここで終わり、王様や大臣などが大きな組織をつくることになります。タクトハンサーも社内外の方々と協力しながら、そのフェーズへ足を踏み入れようとしています。私たちの挑戦に共感し、ともに新しい未来をつくり出してくれる“新たな仲間”との出会いを、心から楽しみにしています。

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