DICの歴史

1908年に印刷インキの製造・販売で創業したDIC(旧 大日本インキ化学工業)。その100余年の歩みをご紹介します。

DICの歴史

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DICの歴史 1908-1915 創業と企業基盤の確立1919-1950 色彩化学への参入、大陸での商圏の拡大1952-1966 海外技術の積極導入、多角化の推進1968-1987 石油化学分野への展開、コア事業のグローバル化と新分野への展開1989-2005 地球環境保護への対応、中国展開の活発化2008- 新たな飛躍に向けて

創業と企業基盤の確立

1908年DICの前身「川村インキ製造所」の創業

1908年 DICの前身「川村インキ製造所」の創業

日露戦争後、人々の生活は近代化に向かい、大衆文化・消費文化が大いに発展しました。美術雑誌の活発な刊行や絵葉書ブームのほか、化粧品や食品などの包装パッケージの需要拡大など、文化の活性化は印刷需要と密接につながり、印刷業も急伸の兆しを見せていました。こうしたことから、創業者・川村喜十郎は印刷インキ分野での起業を決意し、「川村インキ製造所」を誕生させました。
東京市本所(現墨田区)の工場には、ガスエンジンで動く8×12インチの小型ロール3台を設置。従業員は3人で、そのほかに販売専門の外交員を委嘱していました。需要の多かった木版、石版、活版用の白、藍、黄、赤といったインキから製造を開始。原料の顔料、ワニスを購入し、練肉して製品にしました。売れ行きは好調で、当社は先ずは順調な滑り出しを見せました。

1910年地方需要の開拓

1912年商号を川村喜十郎商店に変更

1915年無機顔料の製造に成功

1915年国内に導入されたばかりのオフセット印刷に着目

従来の方式に比べてより高品位な印刷が可能なオフセット印刷が日本に伝えられたのは、1908年のこととされています。1914年3月には、本格的な営業印刷も開始されました。当社は、このオフセット印刷が近い将来広く普及すると予測し、ほかの業者に先駆けてオフセット印刷用インキの研究に取りかかりました。
当時オフセットインキに関する文献や資料はほとんどなく、開発には多くの苦労が伴いましたが、オフセット印刷に最適なインキの粘度や、顔料の粒径、ワニスと顔料との親和力の強さなど、試行錯誤を繰り返しながら懸命に開発。1915年、ついに当社はオフセットインキの製造に成功しました。
この後数年で、東京と大阪に百数十台を超える印刷機が普及し、オフセット印刷は急速に広まりました。当社は時代の流れをしっかりと見据えていたおかげで、オフセットインキの製造・販売にいち早く乗り出すことができたのです。

  • 1908(明治41)年 川村インキ製造所として創業
  • 1910 (明治43)年 地方需要の開拓
  • 1912 (明治45)年 商号を川村喜十郎商店に変更
  • 1915(大正4)年 無機顔料の製造に成功
  • 1915(大正4)年 オフセットインキの製造を開始

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色彩化学への参入、大陸での商圏の拡大

1919年海外への進出を開始(中国・漢口で代理店契約)

1925年有機顔料の自給生産を開始、化学会社としての一歩を踏み出す

1925年 有機顔料の自給生産を開始、化学会社としての一歩を踏み出す

色調が美しく、使いやすい印刷インキを安定的に生産するためには、高品質の国産有機顔料が不可欠でした。第一次世界大戦時に起こった色素の枯渇と価格暴騰を機に、国から合成化学に対して助成が行われていましたが、それは主に繊維用染料の研究・製造に向けられ、有機顔料まで回って来ることはありませんでした。そこで、当社は有機顔料の自給に乗り出しました。
当社は、すでに無機系顔料や一部のモノアゾ系有機顔料の開発に成功しており、その技術力を用いて、有機顔料の自給生産に向けた研究開発を開始しました。試行錯誤の末、ベータ・ナフトールなどの石炭タール系の中間物に化学操作を加えることで、レーキレッドDなどの有機顔料を製造する方法を確立。1925年、ついに有機顔料の本格生産を開始したのです。
この有機顔料の自給開始により、当社は単なる加工業から真の意味の印刷インキメーカーへ脱皮すると同時に、化学会社としての第一歩を大きく踏み出しました。

1931年インドネシアに進出

1936年ワニスの製造を開始

1937年法人組織となし、商号を大日本インキ製造株式会社として設立

1939年北京出張所を開設

1940年厳しい材料統制により、独自の水性グラビアインキを開発

グラビアインキでは、溶剤として安価な航空機用ガソリン類が使用されていましたが、戦渦の中にあった当時の日本では揮発油の統制が厳しく、代用品としての水性インキの開発が急務となりました。
各社がその研究・開発に取り組む中、当社は、カゼインを苛性ソーダなどのアルカリに溶解したものに、アルコールやアラビアゴムなどの糊料を加えることで、独自の水性グラビアインキを完成させました。
内閣情報局が発行する週刊グラフ誌「写真週報」の指定インキとして採用されたこの水性グラビアインキは、揮発油の統制が解除され、溶剤型グラビアインキが再登場するまでの約10年にわたって広く使用されました。

なお、この開発では天然樹脂の代替材料についての研究が進んだため、合成樹脂に関する知見が蓄えられ、後の合成樹脂事業へ進出する1つのきっかけとなりました。

1950年東京証券取引所に上場

  • 1919(大正8)年 海外への進出を開始(中国・漢口で代理店契約)
  • 1925(大正14)年 有機顔料の自給生産を開始
  • 1931(昭和6)年 インドネシアに進出
  • 1936(昭和11)年 ワニスの製造を開始
  • 1937(昭和12)年 法人組織となし、商号を大日本インキ製造株式会社として設立
  • 1939(昭和14)年 北京出張所を開設
  • 1940(昭和15)年 水性グラビアインキを開発
  • 1950(昭和25)年 東京証券取引所に上場

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海外技術の積極導入、多角化の推進

1952年合成樹脂技術の発展を目指し、外資合弁会社を設立

1952年2月、当社とReichhold Chemicals Incorporated社の合弁による「日本ライヒホールド化学工業株式会社(以下、JRC)」を設立しました。

1952年 合成樹脂技術の発展を目指し、外資合弁会社を設立

合成樹脂の用途は印刷インキや塗料にとどまらず、接着剤、建材、紙加工、強化プラスチック、繊維加工など多岐にわたっていたことから、JRCの設立は当社にとって非常に大きな価値を持つことになりました。
JRCは化学会社として国内2例目の外資合弁となりました。これは、当社がいかに世の中の動きを先取りし、絶好のタイミングで合弁を進めたかを指し示すものといえます。

1954年米 Sun Chemical社との技術提携契約を締結

1957年合成樹脂製品の急速な進展に向けて、原料から最終製品までの一貫生産体制を構築

当社にとって合成樹脂事業はインキ、化成品と肩を並べる、重要な柱となったことから、さらなる事業の拡大と需要の開拓が図られました。そこで当社は、新たにプラスチック成形・加工分野へ参入し、原料から最終製品に至る一貫生産体制の構築を目指すことにしました。化粧品容器やヘルメットなどの成形・加工に実績を持つ中堅メーカーと提携し、後に当社の系列下に加えました。

当社はこれを端緒として、建材、パイプなどの押出成型品、各種運搬用資材などの射出成形品、さらにはポリタンクなどの中空成形品といったプラスチック成形品への展開を図り、その後のプラスチック、建材事業展開の源流としたのです。

1958年戦後初の海外拠点として香港出張所を開設

1959年樹脂着色剤、改質剤の生産を本格化

1962年JRCを吸収合併、商号を大日本インキ化学工業株式会社に変更

1962年オーストラリアのインキ製造会社へ技術供与

1965年シンガポールに駐在員事務所を設置

1966年ニューヨークに駐在員事務所を設置

  • 1952(昭和27)年 米 Reichhold Chemicals社との合弁出資により、日本ライヒホールド化学工業株式会社(JRC)を設立
  • 1954(昭和29)年 米 Sun Chemical社との技術提携契約を締結
  • 1957(昭和32)年 ヘルメットなどプラスチック成形分野へ参入
  • 1958(昭和33)年 戦後初の海外拠点として香港出張所を開設
  • 1959(昭和34)年 樹脂着色剤、改質剤の生産を本格化
  • 1962(昭和37)年 JRCを吸収合併、商号を大日本インキ化学工業株式会社に変更
  • 1962(昭和37)年 オーストラリアのインキ製造会社へ技術供与
  • 1965(昭和40)年 シンガポールに駐在員事務所を設置
  • 1966(昭和41)年 ニューヨークに駐在員事務所を設置

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石油化学分野への展開、コア事業のグローバル化と新分野への展開

1968年印刷の指標となる、DICカラーガイドの販売を開始

1968年 印刷の指標となる、DICカラーガイドの販売を開始

当社は、かねてより印刷会社へのサービスとして、338色の印刷見本を無償配布していました。その後、色見本としての機能が打ち合わせなどで有効であることが認められ、1968年7月にオフセットインキによる特色サンプル641色と配合表をセットにした、本格的な色見本帳「DICカラーガイド」を完成させ、販売を開始しました。
日本のグラフィックデザイン界を代表する田中一光氏、灘本唯人氏、勝井三雄氏の監修のもと、3,000色を超える候補色の中から、基本となる641色を選定し、単純な羅列ではない魅力的な色見本帳を生み出しました。
「DIC」の名を冠したこのカラーチップは、当社の印刷インキ事業および色彩化学メーカーとしての認知度の向上に、大きな役割を果たすこととなりました。

1968年石油留分を有効活用する、純国産技術によるエポキシ樹脂の製法を開発

1968年 石油留分を有効活用する、純国産技術によるエポキシ樹脂の製法を開発

エポキシ樹脂は、耐薬品性、接着性、電気絶縁性などの優れた特性から、成形材、接着剤、塗料などに加えて、集積回路、コンピュータといった先端分野向けの材料としても、その重要度を増していました。しかし、プロピレンを出発原料とする従来製法のエポキシ樹脂は、欧米の有力企業が製造・応用面での特許権を独占しており、新規参入の大きな障壁となっていました。
そこで当社は、新しいエポキシ樹脂の製法確立に着手。1968年、石油留分であるB-B留分(ナフサを分解してエチレンなどに変換する際、併産されるブタン・ブチレン留分)を出発原料とする、これまでにないエポキシ樹脂の製法を確立しました。この技術開発は、石油留分の有効利用、そして純国産技術という点で画期的な製法であったことから、マスコミでも広く報じられ、大きな反響を呼びました。
建設を急いだ製造プラント竣工を受けて、1971年にその生産を開始しました。

1969年ポリスチレンの生産を開始

1969年西ドイツにDICヨーロッパを設立

1970年包装用多層フィルム市場に参入

1970年日本初の紫外線硬化型インキ「ダイキュア」を開発

1970年 日本初の紫外線硬化型インキ「ダイキュア」を開発

印刷インキは、通常、その成分が被印刷物へ浸透するとともに、空気中の酸素との化学反応により時間をかけて固化することで、乾燥、定着します。従って、プラスチック・シートや金属フォイルといった、浸透性のない材質への印刷を苦手としていました。また、ヒートセット(加熱処理)タイプのインキでは、乾燥工程での材質劣化や変形を招く恐れもありました。
そこで当社は、乾燥開始剤として高感度の感光性樹脂を用いた、「ダイキュア」を新たに開発。紫外線の照射によって瞬時に硬化・乾燥するこのインキは、印刷対象範囲の拡大をはじめ、生産効率の向上や高品質化など、さまざまな面での効果が期待されました。無溶剤型であることから、公害防止にもつながるものとしても注目を集めました。
発表直後に行われたダイキュアの公開印刷実験には、国内の代表的な印刷会社130社が出席し、非常に高い評価を得ました。

1970年アメリカに DICアメリカ、香港にDIC香港を設立

1973年高性能・長寿命なネマティック型液晶を開発

1973年 高性能・長寿命なネマティック型液晶を開発

1973年 高性能・長寿命なネマティック型液晶を開発

新しい電化製品が次々と登場する中、液晶は有力な次世代表示材料として、世界中で激しい開発競争が繰り広げられていました。中でもネマティック型液晶は粘性が小さく、流動性が高いといった特徴から、ディスプレーでの実用化がもっとも有力視されていました。
当社が新開発したネマティック型液晶は、寿命1万時間以上を謳い、実用化レベルに達する性能を世界で初めて実現した製品として、国内外から非常に高い評価を得ました。
この年、当社の液晶が使用された世界初の液晶表示電卓「コンペット(EL-805)」がシャープから発売され、液晶表示時代の幕が開けました。

1978年スピルリナ健康食品「リナグリーン」を発売

1979年米 Polychrome社を買収により印刷製版材料市場に進出

1980年PPSコンパウンドの生産を開始

1980年シドニーに駐在員事務所を設置

1982年フッ素系消火薬剤を開発

1985年ソウル駐在員事務所を開設

1986年国際競争力の強化を目指して、Sun Chemical社グラフィックアーツ材料部門を買収

1986年 国際競争力の強化を目指して、Sun Chemical社グラフィックアーツ材料部門を買収

1986年12月、当社は国際競争力のさらなる強化を目指して、1954年より提携していたアメリカの有力化学メーカー、Sun Chemical社のグラフィックアーツ材料部門を買収しました。同部門は、1985年度実績で、Sun Chemical社全体の63%を占める約5億6,000万ドルの売上高、約4,000万ドルの営業利益をあげており、主力の印刷インキ、有機顔料では全米随一の規模と実績を持っていました。
当社はこの買収により、Sun Chemical Corporationの社名、同社の本社および中央研究所、同部門のアメリカと海外13カ国における生産・販売拠点、約3800人の従業員などを引き継ぎました。
この結果、DICは印刷インキで世界市場の約13%を占めてトップに立つとともに、有機顔料においても世界3大企業の一角を担うこととなりました。また、これらに印刷機材を加えたグラフィックアーツ材料分野では、世界最大の企業となりました。

1987年米 Reichhold Chemicals社を買収

  • 1968(昭和43)年 DICカラーガイドを販売開始
  • 1968(昭和43)年 エポキシ樹脂の画期的新製法を確立
  • 1969(昭和44)年 ポリスチレンの生産を開始
  • 1969(昭和44)年 西ドイツにDICヨーロッパを設立
  • 1970(昭和45)年 包装用多層フィルム市場に参入
  • 1970(昭和45)年 紫外線硬化型インキを開発
  • 1970(昭和45)年 アメリカに DICアメリカ、香港にDIC香港を設立
  • 1973(昭和48)年 液晶事業へ参入
  • 1978(昭和53)年 スピルリナ健康食品「リナグリーン」を発売
  • 1979(昭和54)年 米 Polychrome社を買収により印刷製版材料市場に進出
  • 1980(昭和55)年 PPSコンパウンドの生産を開始
  • 1980(昭和55)年 シドニーに駐在員事務所を設置
  • 1982(昭和57)年 フッ素系消火薬剤を開発
  • 1985(昭和60)年 ソウル駐在員事務所を開設
  • 1986(昭和61)年 米 Sun Chemical社のグラフィックアーツ材料部門を買収
  • 1987(昭和62)年 米 Reichhold Chemicals社を買収

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地球環境保護への対応、中国展開の活発化

1989年高機能中空糸膜の開発に成功

1990年川村記念美術館を開館

1996年ベトナムに駐在員事務所を開設

1997年「家電リサイクル法」施行に向けて、家電メーカーの要求に合致した製品を提供

1997年 「家電リサイクル法」施行に向けて、家電メーカーの要求に合致した製品を提供

家電・OA機器メーカーは、環境問題への対応として使用するプラスチックに再資源化可能なものを選定するなど、マテリアルリサイクルを見据えた製品を設計するようになりました。しかし、機器解体時に、部材接着で使用していた両面テープを剥離するのに大きな労力とコストを要していたため、その削減が課題となっていたのです。
当社の両面テープ「ダイタック#8800CH」は、新規開発したアクリル系粘着剤と引張強度を向上させた不織布を組み合わせ、「使用中に剥がれることのない接着信頼性」と「解体時には容易に剥がせる再剥離性」という、相反する性能を両立させた画期的なものでした。
この製品は家電リサイクル法(特定家庭用機器再商品化法)の施行を控えた家電業界の注目を集め、大手メーカーをはじめとする各社で相次いで採用されました。

1998年米 Eastman Kodak社との合弁出資により Kodak Polychrome Graphics(KPG)を設立

1999年社会的な環境意識の高まりを反映する100%植物油インキを開発

1999年 社会的な環境意識の高まりを反映する100%植物油インキを開発

社会における環境意識の高まりの中、印刷インキ各社はインキ中の石油系溶剤を植物油に置き換えた環境調和型インキの開発にしのぎを削っていました。その結果、鉱物油の割合を10%程度までに抑えたものが製品化されましたが、揮発性に劣る植物油はインキの乾燥性を著しく悪化させることから、完全に置き換えることは困難でした。
当社の製品「ニューチャンピオン ナチュラリス 100」は、インキの主成分である合成樹脂を高分子量化するとともに、分子構造に独自の工夫を凝らし、溶剤分のすべてを植物油に置換しても十分な初期乾燥性を持たせることに成功しました。この結果、製品中の揮発性有機化合物(VOC)は、助剤に含まれるものだけとなり、全体の1%以下に抑えることができました。
当社はこれにより、日本経済新聞社が主催する「1999年日経優秀製品・サービス賞」において、「優秀賞 日経産業新聞賞」を業界で初めて受賞しました。

1999年仏 Totalfina社の印刷インキ事業部門(Coates)を買収

2001年アジア・オセアニア地域の統轄会社としてDIC Asia Pacificを設立

2002年中国・南通に印刷インキ・有機顔料用マザープラントを建設

2002年中国・中山に塗料用樹脂プラントを建設

2003年中国地区の統轄会社として迪愛生投資有限公司を設立

2005年中国・張家港に樹脂・樹脂着色剤プラントを建設

2005年KPGから出資分を資本償還

2005年Reichholdグループを売却

  • 1989(平成1)年 高機能中空糸膜の開発に成功
  • 1990(平成2)年 川村記念美術館を開館
  • 1996(平成8)年 ベトナムに駐在員事務所を開設
  • 1997(平成9)年 リサイクル対応の工業用両面テープを発売
  • 1998(平成10)年 米 Eastman Kodak社との合弁出資により Kodak Polychrome Graphics(KPG)を設立
  • 1999(平成11)年 100%植物油インキの開発に成功
  • 1999(平成11)年 仏 Totalfina社の印刷インキ事業部門(Coates)を買収
  • 2001(平成13)年 アジア・オセアニア地域の統轄会社としてDIC Asia Pacificを設立
  • 2002(平成14)年 中国・南通に印刷インキ・有機顔料用マザープラントを建設
  • 2002(平成14)年 中国・中山に塗料用樹脂プラントを建設
  • 2003(平成15)年 中国地区の統轄会社として迪愛生投資有限公司を設立
  • 2005(平成18)年 中国・張家港に樹脂・樹脂着色剤プラントを建設
  • 2005(平成18)年 KPGから出資分を資本償還
  • 2005(平成18)年 Reichholdグループを売却

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新たな飛躍に向けて

2008年「DIC株式会社」がスタート

2008年 「DIC株式会社」がスタート

当社は、明治41年2月15日に印刷インキの製造および販売会社として創業し、今年創業100周年を迎えました。創業以来今日に至るまで、当社は印刷インキ、有機顔料、合成樹脂、機能製品、電子情報材料など、広く事業を展開してきました。また、いち早くグローバル化を推し進め、現在、世界約60カ国に事業を展開しています。
当社は、創業100周年を機に、今後より一層の成長発展を遂げるために「グループ化」「グローバル化」を強力に推し進め、事業構造、企業体質の変革の実現をめざします。このため、グループ企業の連携を一段と強化し、グローバルで認知される企業を目指すことを意図し、商号をこれまでの「大日本インキ化学工業株式会社」から「DIC株式会社」(ディーアイシー)としました。
これまで当社が培ってまいりましたブランド資産を継承しつつ、英文字表記とすることで、当社のイメージをグローバルに展開する国際企業という実態に近づけていきます。今後、「DIC」をコーポレートブランドとして積極的な業容拡大をはかっていきます。

2009年ザ・インクテックと国内印刷インキ事業を事業統合、DICグラフィックスを設立

  • 2008(平成20)年 商号をDIC株式会社に変更
  • 2009(平成21)年 ザ・インクテックと国内印刷インキ事業を事業統合、DICグラフィックスを設立

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